副胎盤
今回の妊娠で、新しい事が発覚しました。
私、副胎盤だったのです。
赤ちゃんは一人だけど、胎盤が二つあったのです。
通常のへその緒が繋がっている胎盤とともに、もう一山小さい胎盤がくっついていました。
34週目くらいにエコーで発覚しました。
ドクターも驚く様子もなく、
「あ。2つあるねーという感じでした。」
助産師さんによると、知られていないだけで、胎盤にはいろんな形があって勉強し始めると奥が深いそうです。
私は副胎盤という言葉を初めて聞きましたが、
たまにあることみたいです。
私にも赤ちゃんにも特に問題のないことのようでほっとしました。
だんだん大きくなってくる赤ちゃんの体と胎盤との間でへその緒だけ挟まないように気をつけて見ていくね。とおっしゃって頂けました。
(但し、自然分娩だと出産の際、後産の剥がれ具合だったり、引っ掛かりだったりがあるようですので、お医者さんの判断をきちんと仰いでください。 私の場合は帝王切開をすることが決まっていたので大丈夫でした。)
いつもエコーの時は顔が全部見えなくて、
胎盤に必ずと言って良いほど寄り添っていてくれたので、前回、早期胎盤剥離だったので、押さえて守ってくれているのかなと思っていましたが、理由はこれだったみたいです。
産まれてからもおっぱいを顔の近くに近づけると、胎盤に寄り添っている感覚に近いのか、
そのまま安心して眠ってくれます(*^_^*)
とっても可愛いです。
さて。二つあった胎盤のうち一つは、
誰のでしょうか。
きっと翼くんの胎盤で、
お腹の中で一緒にいて守ってくれていたんだな〜♡と感じました。
優しいなぁ。翼くん。
どうもありがとう。
主人のケア
翼くんの時に緊急で、救急車に乗って搬送されました。
とても時間が長く感じ、とにかく赤ちゃんが大丈夫なのか不安で不安で仕方がありませんでした。
救急車のサイレンの音を聞くと、
今でもあの時の事を思い出します。
初めの頃は聞きたくありませんでした。
聞くだけで後悔の念と、涙が溢れ出てきました。
1年ほど時が経った時、救急車に同乗してくれていた時の事を主人と話をしました。
やはり主人も救急車の音を聞くと、
翼くんの事があった直後は急に気分が悪くなり、車に乗っていたら一旦止めて休んでいるという程だと知りました。
衝撃は同じように主人や家族にも大きく影響しており、
心のケアは、私だけでなく、主人や家族にも同じように必要なのだと痛切に感じました。
私は病院でしばらく保護していただいていましたが、主人は3日目くらいから仕事に行かなくてはならず心のケアがままならぬまま、日常に戻らざるをえませんでした。
主人は私を支えようと、自分の辛い思いを抑え、主人だってものすごく辛いのにそんな姿は見せず一生懸命寄り添ってくれました。
ずっと気を張って頑張ってくれているのが伝わってくるくらい献身に支えてくれました。
本当に感謝しています。
それに加え、役所や病院などの様々な手続きや葬儀の手配をしなければならず、受け入れられない誕生死と向き合うことは相当に辛かった事と思います。
主人の心の痛みをも考えると、想像するだけで胸が張り裂けそうになりました。
幸いにも家族が毎日病室に来てくれて、主人も病室に泊まる事ができて、互いに一人になる時間が少なかったことはありがたかったと思っています。
こんな時だからこそ、家族が結束し、絆を深める機会となったのだと、家族のありがたみに触れさせていただきました。
心の痛みや辛さの心配は、
ママの方にどうしても意識がいってしまいがちですが、パパの心のケアも忘れてはならい大切な事と思いました。
男だから、女だからとか一切関係なく、互いに
泣きたい時には思いっきり泣いて、こみ上げてくる様々な思いは我慢せず誰かに聞いてもらう。
時間をかけてゆっくりゆっくり。
心をほぐしてあげる事。
大切だと感じています。
つわり
私は一人目も二人目もつわりは相当ひどかったです。
一人目は8ヶ月くらいまで続き、回数は減ったものの産むまで体の不調と嘔吐がありました。
妊娠2.3週目から軽く始まり、7.8.9週から酷くなり、仕事も休み休み、10週からはどうにもならなくなり、1ヶ月ちょっと仕事を休みました。
酷い嘔吐(1日に2.30回は戻していました)
頭痛い、フラフラする、ぐわんぐわんして気持ちが悪い上に、眠れない。
精神的にも体も限界。動けない。
食事は限定のものしか食べられない。
食べても飲んでも嘔吐し続けるという日々が続きました。
正直生きた心地がしませんでした。
点滴に通い続けましたが一時的に回復するくらいでなかなか終わりは見えませんでした。
めまいのする中、本を読んだりネットを見たりして、自分の何がいけないのか改善する為の原因を探りましたがさっぱりわからず、どれも効かず、ただただ時間が過ぎるのを待つばかりでした。
その後仕事に戻るも、つわりは続き、吐きながら仕事をしていました。最初は協力してくださっていましたが、長く続くつわりに周りは苛立ち始め理解を得るのも難しくなりました。
そして、妊娠9ヶ月にはいったとき1ヶ月早く産休に入らせてもらいました。
今思えばさっと辞めて、赤ちゃんに向き合ってあげればよかったと思います。
仕事は私の代わりはいくらでもいるけれど、母親という立場は私しかいないから。。。
でもそれも意味があったことなのかもしれません。
二人目は6ヶ月くらいまで続き、大事をとって早急に入院させてもらいました。
仕事は妊娠する前に辞めました。
一人目よりは症状は軽かったですが、やっぱりしんどくて、
つわりは5.6週から始まり、だんだんと酷くなり。。。
また限定の食べ物しか食べられず、挙げ句の果てには食べても飲んでも嘔吐し始め脱水症状になりました。
一人目と同じような生活が続きました。
ただ今回は眠れたのでそれだけでも有難かったです。
5ヶ月頃から軽くなり、だんだん普通に過ごせるようになりましたが、体の不調は常にありました。妊娠してるから仕方がないのかな。笑
二人とも重度妊娠悪阻。
辛すぎました。
つわりって一体なんなのか。
こことも沢山向き合いました。
色んな原因があるみたいです。
ネットや本に書いてあるものは私は効きませんでした。
腕にあるつわりのツボを押したり、
リラックスしたり、
酸っぱいものを食べたら治るとか、
アロマがいいよとか、
鍼治療やお灸が良いとか、
気分転換に散歩するとか、
音楽を聴いてゆったりするとか
ありとあらゆるものを試しましたが、
私には効きませんでした。
もしかしたら、やり方が違っていたのもあるかもしれませんが。。。
でもなんとなく、私は規格外なのかもしれないなと思いました。
ただ二人目の時に思ったのは、
体の冷えがとても影響しているということ、
その時の精神状態、心の冷え、
そして、ある栄養素が不足していたということに気がつきました。
そしてそれに氣付かせていただいたらメキメキと状態がよくなってきたので本当に有難かったです。
そして、二人目のつわり中に唯一行動できたことが一つだけありました。
ミキミキさんの講座に参加させてもらうこと。
講座日だけは朝から嘔吐がなく、講座に参加できたのです。多分胎児ちゃんがなんとしてでもミキミキさんの元へ私を連れて行きたかったのだと思います。
参加させてもらうほどつわりは改善傾向に向かって行きました。
ミキミキさんは胎児ちゃんの氣持ちをキャッチしてくださり、そこから私に氣付きを与えてくださいます。
胎児ちゃんの思いを繋げてくださいます。
そして大きな愛で包み込んでくださり、正しい道に導いてくださいます。
赤ちゃんがお腹の中から私に氣付いて欲しいと思っていることを、私がなかなか受け取れないからミキミキさんの元へ連れて行ってくれたのだと思っています。
そうすることで私が受け取りやすくなって、それを行動していくと、あら不思議。
何をしても今までダメだった身体とつわりが、良くなっていくので本当に感動したとともに、感謝しかありませんでした。
つわりにもがき苦しんでいる方。
何をやってもダメという方。
ミキミキさんの講座オススメです。
赤ちゃんからママに受け取って欲しいメッセージがあるのかもしれません。
★妊娠初期の胎児の学校
★妊娠5ヶ月以降の妊婦の学校
ママと胎児ちゃんの絆づくりと、
眞の胎教とは何かを考えさせて頂けます。
お腹の中からのコミュニケーション。
赤ちゃんと向き合うことができる
凄く素敵で貴重な時間と機会になります。
妊娠中の不安改善、もっと楽しく妊婦生活を楽しみたいなどなど、何か氣付きのきっかけになること間違いなしです。
私は胎児の学校、妊婦の学校共に受講させていただきました。
産まれた時から絆が育まれていて、受講した赤ちゃんは只者ではないと先輩たちから伺っています。
まもなく産まれてくる二人目ちゃん。
どんな風に誕生してくれるのか、
今からとても楽しみです♬
出生届♡名前
産まれて2日目の夜。
【翼】という名前をつけました。
突然ふわっと浮かんできました。
2時間だけど生きて産まれてくれたので、出生届を出します。
そう。嬉しいことに戸籍にも出生の記録、翼くんが産まれてくれた証が残るのです。
翼くんは私達の長男になりました。
生まれる前に性別が分かっていたので、いくつか候補はあげていました。
その中でも、産まれる数日前に感じた名前。
【翼】
でもなんか飛んで行ってしまいそうな名前だから、違うかなとも思っていました。
だから顔を見て旦那と決めようと思っていました。
翼くんがお空に還ったすぐあと。
母が空を見たときのことを話してくれました。
羽根の生えた赤ちゃんが大きな翼を広げて空に飛んでいたよ。
と言ってきました。
あぁ。なんてことを言ってくれるのだと。
そうかもしれないけど、
事実を飲み込めないでいる私にそんなこと言わないでと思っていました。
2日目の夜、眠っていた私の隣で、
出生届を出すから名前を決めないと。
という母親と主人の話声が耳元で聞こえました。
私の意識は朦朧としていましたが、
ふと空を見た母の話を思い出し、
あれはもしかしたら
名前を赤ちゃんが伝えてくれたのかもしれないと感じました。
名前をつけると決まったときに【翼】だと直ぐにおもいました。
きっと翼くんは母に空を見せて、
その話をすることにより、
私に名前を受け取るように教えてくれていたのだなぁと感じました。
主人とも話し、
お空に還ってしまった翼くんに
せめてお空で自由に大きく羽ばたいて幸せになって欲しいという願いを込めて決めました。
二人で納得してしっくりくる名前だねと言うことになって、翼くんになりました。
病院にも伝えたら、こんなに名前とお顔がぴったり合う子久しぶり。いい名前だね。と言ってくださいました。
それからみんな翼くん。とか つーくん。って顔を見るたびに毎日呼んでくださるようになりました。
いい名前に決まってよかったなぁと今も思います。
翼くんお空で自由に羽ばたいていますか?
きっと翼くんのことだから、大きく大きく羽ばたいていることと思います♡
いつもにっこり微笑んでいてくれているように感じています。
私も翼くんを見習って大きく大きく羽ばたくね。
記録について
ブログを書くにあたり日にちが前後していたり、内容が重複したりしているところがあると思いますが、どうか大目にみてください。
そして、鮮明に記憶はありますが、その時のリアルタイムな感情ではないため、多少今だから思える表現で書かれていることがあります。
だけど、根底にはやっぱり今も悲しいし寂しいし、苦しく思う気持ちはあります。
これは一生あるのだと思います。
しかしいつまでも、落ち込んでばかりもいられないので、少しずつ立ち上がっています。
翼くんもいつまでも泣いている私なんか見たくないと思って一生懸命過ごしています。
どうかどうか、そっとそんな気持ちで読んでいただけると有り難いです。
ブログに訪問してくださりありがとうございます。
最期の日
翼くんが産まれ、そしてお空に還ってしまって1週間が経ち、最期の日が来てしまいました。
お葬式と火葬をする日になってしまいました。
赤ちゃんは大人と違って、魂がお空に還った後の体の変化が少ない様で、少し長く過ごすことができるようです。(季節にもよります)
胎話士さんのセッションの後どんどん顔色や、表情が良くなり、身体の色も綺麗だし、柔らかいし、助産師さんもまだまだ一緒に過ごせるしもう少し一緒にいてもいいよと言ってくださいました。
本当はもっと一緒に過ごしたかったけれど、
家族みんなが集まれる日がなかなかなくて、
いつかはその時が来てしまうし、そうしたら、やっぱり長くいれば身体に変化はどんどん顕れ始めてしまうし。
ミイラ化したいの!?という言葉にハッとさせられ、
今の綺麗な状態のままで翼くんは体も空に還りたいのではとアドバイスを頂きその日を迎えることに決意しました。
梅雨の時期で連日雨続き。
その日も朝から雨が降っていました。
天気予報も雨でした。
だけど、当日、病院を出る直前に雨は上がりました。
そしてまた、次の日からは雨が続きその日しか晴れませんでした。
やっぱり、その日が正解だったのかもしれないと思えるような日となりました。
病院から葬儀会場に行くのもなんか忍びなくて、一緒にお出かけして家族での思い出をつくってから行きたいと考えていました。
病院でみなさんに見送っていただき、
翼くんをクーハンで外に出て、
近くの大きな公園で少しだけ一緒に散歩をしました。
家族全員で写真も撮り、
それから会場にむかいました。
会場に着いてから時間があったので、
最後の最後まで抱っこしたりキスをしたり話しかけたり、後悔の無いように最後のコミュニケーションをとりました。
泣いても泣いても涙が溢れてきて、もう心臓が引きちぎれるくらい悲しい思いをしながら、
可愛い愛息子を前に溺愛をする大切な時間を過ごしました。
前の日に旦那と二人で翼くん宛に手紙と折り紙を折っていたので、お花と共に一緒に入れました。
母乳も入れてあげたらと病院から提案いただきケースに入れて準備して頂いたので母乳も一緒に入れました。
入院中翼くんの前で流すと表情が変わったり、皮膚の色が明るくなる曲があったので、その曲も流させてもらいました。
お経をあげていただき、お葬式が終わって会場を出ると、突然パーっと雲の隙間から太陽の光が差し込み青空が広がり始め空が一気に明るくなりました。
それから火葬に向かう時車から外を眺めていたら、赤ちゃんの形をした雲が沢山空に浮かんでいました。
それは、翼くんが宿ってくれた時から臨月を迎えるまでのエコーで見せてもらっていた成長過程の全てを顕して下さっているかのような感じで、
【僕の事思い出してね。いつも一緒にいるよ。ありがとう。】
と翼くんが言ってくれているかのように感じました。
妊娠してからのことを改めて振り返り、また涙が止まらなくなりました。
だけど、翼くんはこうやって形を変えて自分を顕していてくれるのかもしれない気がしました。
全て終わって病院へ戻った時も空を見たら、
空に虹彩がキラキラしていました。
翼くんお空に還って行ったんだなと感じました。
私は小さな骨壷を抱え病院へ戻ってきました。
赤ちゃんは小さいからもしかした火葬をしたら骨が残らない事もあると聞きいていました。
だから髪の毛を少し切って残しておいたらどうかと提案も受けました。
温度と時間次第で骨が残る事もあると分かり、残るようにし調整して欲しいと事前に担当の方にお願いしました。
そうお願いしたら、ちゃんと残ってくれていました。
家族全員で翼くんのご遺骨を全て拾い集め骨壷に納めさせてもらいました。
後の方の待ちがなかったので時間をゆっくりかけてさせてもらうことができました。
ご遺骨を拾うのも辛かったけれど、やっぱり、一人で機械の中に入っていく光景を見るのが辛かった。辛すぎました。
だけど目を背けたらいけないと思って、翼くんの生き様を目に焼き付けました。
最期の最後のまで、
ありがとうを伝え、キスをして、蓋を閉めました。翼くん。最後まで可愛かったな。
いつまでも私たちの心の中に生き続けてくれると信じています。
そしていつも見守ってくれているのだと思っています。
私はこれから翼くんに恥じないママにならないとと思って今も過ごしています。
翼くんいつまでもずっとずっと大好きだよ。
パパとママの子供として産まれてきてくれてありがとう。
愛しています。