✳︎誕生死を乗り越えて✳︎

2015年 第一子の誕生死を経験した後、2016年 女の子出産しました。死産・流産・誕生死etc...どなたかの希望になればと思いブログに綴っています。

突然すぎて。。。

一年前、私は突然の誕生死を経験しました。

原因は早期胎盤剥離。

 

ずっとずっと妊娠の経過は順調そのもので、

お腹の赤ちゃんも元気に育ってくれていました。

 

予定日の2日前、39W5D。19時ごろ

検診がありました。


私の血圧が上がり始めたのとむくみもあり、そして赤ちゃんの心拍が少し心配だから

大事をとって、翌日に急遽帝王切開をするということが決まりました。

その時は緊急性はないと言われ、

次の日に手術の前にクリニックに行けば良いということだったので、その日は一旦家に戻り、赤ちゃんを迎える最終準備をして主人と二人きりで過ごす時間を堪能しました。

 

しかし、

その夜はずっと目が冴え、なかなか寝付けませんでした。

定期的にトイレに行きたいような感覚がありました。

でも痛みはなかったので、勝手に大丈夫と思い込み、様子を見ながらずっと起きていました。

でもなんか5時ごろから様子がおかしく、

胎動も少ないような気がして、やっぱりおかしいから早めに病院に行こうとして立ち上がった途端、早朝6時ごろ、お腹が崩れてしまうかのような衝撃と、ドン!!という感覚が起こり突然、透明ピンク色した塊が出血した感じで出て来てしまいました。


慌ててクリニックに電話をして状況を話したのですが、そのまますぐに病院に来てくださいと普通に言われたので、その時の私はまだ大丈夫なのだと過信していました。


でもやっぱり不安で慌てて主人とクリニックに行きました。

こんなにも出血しているのに、病院は焦る気配もなく、さらには先生もすぐに現れず検診や処置が進んでいかず、看護師さんも緊急性のないような感じで進んでいました。

早く診てもらいたい、早く手術してもらいたいと思っている私の不安は大きくなる一方なのと、お腹の痛みがだんだん激しくなってきました。

しばらくすると先生がこられ、状況を見られて途端、別の病院に緊急搬送が決まりました。

それまで通っていたクリニックでは手を施すことができないと言われ、

緊急搬送で別の大きな病院へ救急車で向かうことになりました。

クリニックの先生も乗り込まれ、一緒に搬送先に向かったのですが、大丈夫ともなんとも声かけもなく、そこでも本当に不安でした。

  

なんでもっとクリニックの先生は早く判断してくださらなかったのか、クリニックに到着してすぐ診てもらいたかった、さらには昨日の段階で帝王切開をお願いすればよかった。最初から救急車を呼んで、緊急搬送されればよかった。など、頭の中は後悔の念だらけ。


私は意識朦朧としていく中で、必死にお腹を抱え救急車の中で本当にお腹が痛くて、

お腹の赤ちゃんが無事でありますようにとずっとずっと祈っていました。

 


緊急搬送先に到着してすぐに、緊急帝王切開をして頂き、そこの先生に到着後5分で取り出していただいたと伺いました。


生きて生まれてきてくれたのですが、

胎盤が事前に剥がれてしまったことで赤ちゃんへ酸素が上手くまわらなくなってしまい、その2時間後に私の腕の中でお空に還してしまいました。

 

緊急帝王切開だったので全身麻酔をしていたのですが、術後、

お医者様や助産師さんたちのご配慮で

生きた状態の赤ちゃんに会えるようにと、

急いで意識を取り戻すように声をかけて頂き意識朦朧としながら目を覚ましました。

 

そして、第一声に、

赤ちゃんは?と尋ねました。

 

助産師さんからは、

今から赤ちゃんに会いに行くからね。

とだけ返答。


元気ですよとか、そういう言葉ではなかったので不安がよぎりました。

 

私は横たわった状態でベッドごと、

赤ちゃんが処置をしていただいていた別室に移動しました。

 

そこで、我が子と初対面。

かわいいなぁ。会えてよかった。

そんな風に思えたのもつかの間。


緊急帝王切開中から立ち会ってくれていた旦那の泣いて立っている姿が見えました。


。。。

 

その時はまだ、赤ちゃんは息をしてくれていたのですが、酸素がないと息ができない状態。


私の到着を一生懸命に生きて待っていてくれました。

 

そこで医師から、

。。。

出来る限りのことはすべてやり尽くしたのですが。。どうしても難しい状態です。。。

今も一生懸命生きていてくれています。

でもこれ以上このままだと赤ちゃんにも負担がかかってしまいます。

どうか最期はお母さんの腕の中に眠らせてあげませんかと。。。

言われました。

 

突然のことすぎて頭は混乱しそうになったのですが、

そんな中私の意識ははっきりとしてきて、

赤ちゃんをこれ以上苦しめてはいけない。という気持ちなりした。


苦しい中赤ちゃんが待っていてくれたことに頑張ってくれて一目会うために待っててくれてありがとうという気持ちと、

守りきれずに本当にごめんなさい。もっと早く判断して病院に行っていれば違う結果になっていたのではないかと自分を責める気持ちが押し寄せました。


これ以上赤ちゃんに苦しい思いをさせるのは辛くて申し訳ないという気持ちが先行し

赤ちゃんを腕の中に受け取り、抱き、そしてそのままそっと息をひきとりました。

 

ほんとに酸素のをしていただいたのが外れた途端に。。。で、一瞬の出来事すぎて唖然としてしまいました。


もう状況が飲み込めず、お空に還ってしまった状況を信じられませんでした。


そこからしばらくはどんな感情だったのか記憶が飛んでしまっています。

私の人生終わった。と思った記憶があります。

自分を責め、赤ちゃんに対して罪悪感しかありませんでした。



 

私も子宮の出血が多く、一昔前だったら私も命を落としていたかもしれないくらいの状況だったので、私は自分の続きの処置の為また別室に戻りました。

 

それから泣いて泣いて泣いて泣き続けました。



 

綺麗にしてもらった赤ちゃんは再び助産師さんに抱っこして頂いて私の病室に来てくれました。

初めは赤ちゃんのいのちを守りきれなかった事に対して申し訳ない気持ちでいっぱいで

赤ちゃんに顔向けできなくて、母親失格だと思い込んでいた私はその時すぐに抱くことができませんでした。


でも私の母が、赤ちゃんが生きていると同じように、孫の誕生を嬉しそうににっこり微笑み、抱っこしたい。と言って私の代わりに抱いてくれました。


その姿を見て、私もやっぱり抱かせてもらいたい。抱きたい。という気持ちに変わっていきました。


精神的にも体もきつい私は、愛ある病院のご配慮でそこから約一週間赤ちゃんと一緒に過ごさせてもらい、一ヶ月以上私を病院全体でで優しく包み込んでくださいました。

 

そんな大変だった状況の中、

お腹の中でお空に帰ってしまうのではなく、たとえ2時間でも生きてくれていた状態で顔を合わせられたことが何よりも有難かったのだと自分を言い聞かせています。


そしてこの小さないのちを絶対に無駄にしてはいけないと強く思い、

私はそこから様々なことを学び始めました。

 

このつばさくんの誕生ストーリーには奇跡のストーリーがたくさんあるのです。

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その話はまた今度。