産まれることは奇跡
赤ちゃんは妊娠したら産まれてくるものだと、浅はかな考えでおりました。
いえ。色々あることは知っていたけれど自分には関係のないことと重要視していませんでした。
放漫でした。
まさか産まれて2時間でのお別れがあるなんて思ってもみませんでした。
だけど妊娠中、心のどこかでずっとちゃんと産まれてくれるのか心配でもありました。
無事に産まれてくれる事ばかり願っていました。
だから余計に色々あることに怖くて向き合えきれなかったのかもしれません。
こうなってしまって思うことは、
当たり前のことなんて何一つない!!ということ。
産まれること、そして生きていることは奇跡なのだ!!
お父さんとお母さんの愛をたっぷり受けて妊娠する。まずそこが凄い奇跡の始まりで、何億もの精子の中からたった一つの精子が卵子に出会うため、子宮の中で長い長い旅をしたのちに出逢い受精し、着床していく。
こんな凄い出会いがいのちの始まりだなんて神秘的。
お腹の中に宿りいのちが始まって、お母さんのお腹で十月十日かけていのちが育まれる。
産まれてからではなく、私はお腹に宿ってくれた時点でお誕生日は始まっているのだと思っています。
お腹の中でもうすでに一生懸命に赤ちゃんは生きてくれていて、その時間さえもかけがえのないいのちを育む時間なのだ。
無事に生まれてくることのほうが多いけれど、誰しもいつ何時どうなるかなんて分からない。
そういう気持ちで妊娠期に大切に大切にお腹の中に意識を向けていのちを育むとまた違った思いや観点から妊娠期を、そして生まれてからの時間や子育て期を過ごすことができるような気がします。
赤ちゃんが無事に生まれてくれること、そして今私たちが生きて存在していること自体がもう奇跡で素晴らしいことなのだと、
翼くんのことを通して学ばせていただきました。
いのちがあることは素晴らしい。
それだけで十分に凄いことなんだ!!
大切に大切に育ませていただきたいと思わずにはいられません。
そして、
その生かされている自分のいのちを無駄にしてはいけないと、
ずっと無理して我慢して自分を閉じ込めて生きている場合ではないと気付かせて頂いたのだなと、悲しみを乗り越えた後に気付かせて頂きました。
せっかく生かして頂いているいのち。
自分も周りの人も、その人らしく自分であれる自由に表現できる場に身を置き、あるがままの自分を受け入れて自分らしく生きる。
これこそが生きる上で大切なのではないかと思うようになりました。