✳︎誕生死を乗り越えて✳︎

2015年 第一子の誕生死を経験した後、2016年 女の子出産しました。死産・流産・誕生死etc...どなたかの希望になればと思いブログに綴っています。

ひとつのいのち

突然の誕生死という出来事に、当然の事ながらみんな驚きを隠せませんでした。

ずっと通っていたクリニックで帝王切開が決まっていた日の朝に起こった出来事だったので、みんなその日は予定を空けてくださっていました。

 

緊急で運ばれた病院での手術が終わった後の家族と顔をあわせる際、申し訳ない気持ちでいっぱいで、ごめんなさいしか言えませんでした。

 

変化に気づけなかった私が悪いのではと、責められるのではないかと思ったりもしましたが、誰もそんなことを言う人はおらず、私と翼くんの顔を見にきてくれました。

とにかく私が自分で自分を苦しめていました。

 

翼くんにも申し訳ない気持ちでいっぱいで顔向けできませんでした。

 

私の処置が終わり、翼くんも綺麗にしていただいて、助産師さんが病室に抱っこして連れてきて私の横に寝かしてくださいました。

 

病院の皆さんも家族もみんな翼くんを抱っこしてくれて、可愛い可愛いと言って眺めてくださいました。

 

お空に還っても、ひとつのいのちとして迎えてくださるその姿を見て、私は最初どうしたらいいかわからないでいましたが、普通にしたらいいんだと思えるようになりました。

 

もしかしたらそれは、翼くんが普通に接して欲しいと思っているのに、罪悪感からなかなかそうできない私へ、私に分かるように周りの対応を見て普通にするようにと気付きをもたらしてくれたのかもしれないと感じました。

 

生きて産まれても、亡くなって産まれても、産まれてすぐに亡くなってしまっても、お腹に宿ってくれて産まれてきてくれたことは事実だし、いのちはいのち。

 

いのちに対する考え方と向き合い方が変わりました。

いのちに線引きをして勝手な枠や思考で考えてしまっていたのは自分だったのだと気づかされました。

 

どんないのちにも無駄ないのちなんてひとつもないと、運ばれた先の病院の先生もおっしゃられています。

そうやって大切にいのちに向き合ってくださる病院に最期運ばれて本当に良かったと思いました。

 

 

来てくれたいのちに対して感謝をして、出会えた意味、たとえわずかでも一緒に過ごす時間をどう向き合うのかどう過ごすのかが大切なのだと学ばせていただきました。

 

 

一番思うのは、お互いに思いを残さないという事が大切なのではないかなと感じます。

 

だから、胎話士さんが体のあるうちに来てくださったのも凄く意味があって有難かったなと今になっても思えます。