✳︎誕生死を乗り越えて✳︎

2015年 第一子の誕生死を経験した後、2016年 女の子出産しました。死産・流産・誕生死etc...どなたかの希望になればと思いブログに綴っています。

決まっていたことなのかな?②

翼くんを妊娠して5ヶ月目頃、

母の職場が翼くんを後に出産することになる大きな病院の関連施設で働くこととなりました。場所はその病院のすぐ隣。

(この頃ほかの産院にかかっていたのでまさか私がそこへ緊急搬送されるとは思いもよりませんでした)

が、つわりが酷すぎて何かただ事ではない妊娠だと感じていたところもあったので、なぜこの時期に母親がそこで働くことになったのかと意味を考えると、少し嫌な予感がよぎっていました。

 

 

他にも私の姉妹が、同じ時期に

その翼くんの誕生&最期となる病院の10分以内の場所にサロンを構え、一人暮らしを始めました。

 

これもなんでかなぁと不思議に感じていました。

 

 

 

結果、蓋を開けてみると、

私が大きな病院に緊急搬送され、誕生死として出産を終え、しばらく入院で半月ほどその病院にお世話になることになりました。

 

働きながらもすぐに顔を出せる位置にある母の職場。

姉妹も空いた時間にすぐに飛んでこれる場所。

 

お蔭様で!?なのか、

誕生死の後、毎日みんな私の病室に会いに来てくれる環境が整っており、そして私を支えようとみんな会いに来てくれました。

 

もしかしたら、翼くんがお空に還ってしまった後、私に寂しくないように、少しでも気がまぎれるように、そういう環境を翼くんが整えておいてくれたのかもしれません。

 

そう考えると、翼くんの大きな愛に泣けてきて、最期の最期まで頑張ってお腹の中で一緒にいてくれたことと、みんなも来てくれるようにしておいてくれたことに、見えない力が働いていると感じるばかりでした。

さらには緊急搬送された病院では、いのちとの向き合い方がとても素晴らしい医療スタッフの皆さんがいてくださる大きな病院を最期の病院に選んで緊急搬送で運ばれたことなど、様々な奇跡が重なり翼くんの愛の大きさにまた泣けて、翼くんは全て分かっていて後のことまで整えてくれていたのかもしれないとなんとなくそんな気がすることもありました。

その病院でなかったら、私はずっと引きずっていたかもしれない。そんな風に感じます。。。