✳︎誕生死を乗り越えて✳︎

2015年 第一子の誕生死を経験した後、2016年 女の子出産しました。死産・流産・誕生死etc...どなたかの希望になればと思いブログに綴っています。

出生届♡名前

産まれて2日目の夜。

【翼】という名前をつけました。

 

突然ふわっと浮かんできました。

 

 

2時間だけど生きて産まれてくれたので、出生届を出します。

そう。嬉しいことに戸籍にも出生の記録、翼くんが産まれてくれた証が残るのです。

翼くんは私達の長男になりました。

 

生まれる前に性別が分かっていたので、いくつか候補はあげていました。

その中でも、産まれる数日前に感じた名前。

【翼】

でもなんか飛んで行ってしまいそうな名前だから、違うかなとも思っていました。

だから顔を見て旦那と決めようと思っていました。

 

 

 

翼くんがお空に還ったすぐあと。

母が空を見たときのことを話してくれました。

 

羽根の生えた赤ちゃんが大きな翼を広げて空に飛んでいたよ。

と言ってきました。

 

 

あぁ。なんてことを言ってくれるのだと。

そうかもしれないけど、

事実を飲み込めないでいる私にそんなこと言わないでと思っていました。

 

 

2日目の夜、眠っていた私の隣で、

出生届を出すから名前を決めないと。

という母親と主人の話声が耳元で聞こえました。

 

私の意識は朦朧としていましたが、

ふと空を見た母の話を思い出し、

あれはもしかしたら

名前を赤ちゃんが伝えてくれたのかもしれないと感じました。

 

名前をつけると決まったときに【翼】だと直ぐにおもいました。

 

きっと翼くんは母に空を見せて、

その話をすることにより、

私に名前を受け取るように教えてくれていたのだなぁと感じました。

 

 

主人とも話し、

お空に還ってしまった翼くんに

せめてお空で自由に大きく羽ばたいて幸せになって欲しいという願いを込めて決めました。

 

二人で納得してしっくりくる名前だねと言うことになって、翼くんになりました。

 

病院にも伝えたら、こんなに名前とお顔がぴったり合う子久しぶり。いい名前だね。と言ってくださいました。

 

それからみんな翼くん。とか  つーくん。って顔を見るたびに毎日呼んでくださるようになりました。

 

いい名前に決まってよかったなぁと今も思います。

 

 

 

翼くんお空で自由に羽ばたいていますか?

 

きっと翼くんのことだから、大きく大きく羽ばたいていることと思います♡

いつもにっこり微笑んでいてくれているように感じています。

私も翼くんを見習って大きく大きく羽ばたくね。

記録について

ブログを書くにあたり日にちが前後していたり、内容が重複したりしているところがあると思いますが、どうか大目にみてください。

 

そして、鮮明に記憶はありますが、その時のリアルタイムな感情ではないため、多少今だから思える表現で書かれていることがあります。

 

だけど、根底にはやっぱり今も悲しいし寂しいし、苦しく思う気持ちはあります。

これは一生あるのだと思います。

 

しかしいつまでも、落ち込んでばかりもいられないので、少しずつ立ち上がっています。

翼くんもいつまでも泣いている私なんか見たくないと思って一生懸命過ごしています。

 

どうかどうか、そっとそんな気持ちで読んでいただけると有り難いです。

 

ブログに訪問してくださりありがとうございます。

 

最期の日

翼くんが産まれ、そしてお空に還ってしまって1週間が経ち、最期の日が来てしまいました。

 

お葬式と火葬をする日になってしまいました。

 

赤ちゃんは大人と違って、魂がお空に還った後の体の変化が少ない様で、少し長く過ごすことができるようです。(季節にもよります)

 

胎話士さんのセッションの後どんどん顔色や、表情が良くなり、身体の色も綺麗だし、柔らかいし、助産師さんもまだまだ一緒に過ごせるしもう少し一緒にいてもいいよと言ってくださいました。

 

本当はもっと一緒に過ごしたかったけれど、

家族みんなが集まれる日がなかなかなくて、

いつかはその時が来てしまうし、そうしたら、やっぱり長くいれば身体に変化はどんどん顕れ始めてしまうし。

 

ミイラ化したいの!?という言葉にハッとさせられ、

今の綺麗な状態のままで翼くんは体も空に還りたいのではとアドバイスを頂きその日を迎えることに決意しました。

 

 

梅雨の時期で連日雨続き。

その日も朝から雨が降っていました。

天気予報も雨でした。

だけど、当日、病院を出る直前に雨は上がりました。

そしてまた、次の日からは雨が続きその日しか晴れませんでした。
やっぱり、その日が正解だったのかもしれないと思えるような日となりました。

 

 

病院から葬儀会場に行くのもなんか忍びなくて、一緒にお出かけして家族での思い出をつくってから行きたいと考えていました。

 

病院でみなさんに見送っていただき、

翼くんをクーハンで外に出て、

近くの大きな公園で少しだけ一緒に散歩をしました。

家族全員で写真も撮り、

それから会場にむかいました。

 

会場に着いてから時間があったので、

最後の最後まで抱っこしたりキスをしたり話しかけたり、後悔の無いように最後のコミュニケーションをとりました。

 

泣いても泣いても涙が溢れてきて、もう心臓が引きちぎれるくらい悲しい思いをしながら、

可愛い愛息子を前に溺愛をする大切な時間を過ごしました。

 

前の日に旦那と二人で翼くん宛に手紙と折り紙を折っていたので、お花と共に一緒に入れました。

母乳も入れてあげたらと病院から提案いただきケースに入れて準備して頂いたので母乳も一緒に入れました。

入院中翼くんの前で流すと表情が変わったり、皮膚の色が明るくなる曲があったので、その曲も流させてもらいました。

 

お経をあげていただき、お葬式が終わって会場を出ると、突然パーっと雲の隙間から太陽の光が差し込み青空が広がり始め空が一気に明るくなりました。

 

それから火葬に向かう時車から外を眺めていたら、赤ちゃんの形をした雲が沢山空に浮かんでいました。

 

それは、翼くんが宿ってくれた時から臨月を迎えるまでのエコーで見せてもらっていた成長過程の全てを顕して下さっているかのような感じで、

【僕の事思い出してね。いつも一緒にいるよ。ありがとう。】

と翼くんが言ってくれているかのように感じました。

 

妊娠してからのことを改めて振り返り、また涙が止まらなくなりました。

 

だけど、翼くんはこうやって形を変えて自分を顕していてくれるのかもしれない気がしました。

 

全て終わって病院へ戻った時も空を見たら、

空に虹彩がキラキラしていました。

 

翼くんお空に還って行ったんだなと感じました。

  

私は小さな骨壷を抱え病院へ戻ってきました。

 

赤ちゃんは小さいからもしかした火葬をしたら骨が残らない事もあると聞きいていました。

だから髪の毛を少し切って残しておいたらどうかと提案も受けました。

 

温度と時間次第で骨が残る事もあると分かり、残るようにし調整して欲しいと事前に担当の方にお願いしました。

 

そうお願いしたら、ちゃんと残ってくれていました。

 

家族全員で翼くんのご遺骨を全て拾い集め骨壷に納めさせてもらいました。

 

後の方の待ちがなかったので時間をゆっくりかけてさせてもらうことができました。

 

ご遺骨を拾うのも辛かったけれど、やっぱり、一人で機械の中に入っていく光景を見るのが辛かった。辛すぎました。

 

だけど目を背けたらいけないと思って、翼くんの生き様を目に焼き付けました。

 

最期の最後のまで、

ありがとうを伝え、キスをして、蓋を閉めました。翼くん。最後まで可愛かったな。

 

いつまでも私たちの心の中に生き続けてくれると信じています。

そしていつも見守ってくれているのだと思っています。

 

私はこれから翼くんに恥じないママにならないとと思って今も過ごしています。

 

翼くんいつまでもずっとずっと大好きだよ。

パパとママの子供として産まれてきてくれてありがとう。

愛しています。

家族のサポート

突然の出来事に当然ながらみんな驚きを隠せませんでした。

だけどきっと私が一番ダメージが大きいはずと

みんなで必死に私をサポートして下さいました。

 

それぞれが出来ることを思いを込めてして下さいました。

 

主人も入院中私の母と変わりながら、入院中毎日仕事終わりに病院に来て泊まってくれました。

近くに住んでいた妹も、母も毎日病室に顔を出してくれ、なるべく私が一人にならない様にみんなでしてくれました。

父や祖母も時間を見つけては来てくださり、義理母さんも他県から通ってお見舞いに来て下さいました。

 

病院のみなさんも2.3時間に一回は顔を出してくださっていました。

 

翼くんを囲んでたくさんの愛に溢れる病室は、暖かい空気に包まれ、特別な時間が流れていました。

 

そして家族の絆が強くなったきっかけとなった様にも感じました。

 

医療のサポート、家族のサポート、胎話士さんのサポートそして見えないお蔭様の力を頂いて、私は悲しみを少しずつ乗り越えられたのだなと感じています。

たくさんの方の愛と光と氣を頂いて生かして頂いたのだと感謝しています。

 

この頂いた愛を私もこれからご縁ある方に循環していきたいと考えています。

 

翼くんの出来事を通して学ばせていただくことばかりで、翼くんに頭が上がりません。

翼くんのいのちの意味を受け取って、翼くんからのメッセージを語り継ぎこれから私は生きていきます。

ひとつのいのち

突然の誕生死という出来事に、当然の事ながらみんな驚きを隠せませんでした。

ずっと通っていたクリニックで帝王切開が決まっていた日の朝に起こった出来事だったので、みんなその日は予定を空けてくださっていました。

 

緊急で運ばれた病院での手術が終わった後の家族と顔をあわせる際、申し訳ない気持ちでいっぱいで、ごめんなさいしか言えませんでした。

 

変化に気づけなかった私が悪いのではと、責められるのではないかと思ったりもしましたが、誰もそんなことを言う人はおらず、私と翼くんの顔を見にきてくれました。

とにかく私が自分で自分を苦しめていました。

 

翼くんにも申し訳ない気持ちでいっぱいで顔向けできませんでした。

 

私の処置が終わり、翼くんも綺麗にしていただいて、助産師さんが病室に抱っこして連れてきて私の横に寝かしてくださいました。

 

病院の皆さんも家族もみんな翼くんを抱っこしてくれて、可愛い可愛いと言って眺めてくださいました。

 

お空に還っても、ひとつのいのちとして迎えてくださるその姿を見て、私は最初どうしたらいいかわからないでいましたが、普通にしたらいいんだと思えるようになりました。

 

もしかしたらそれは、翼くんが普通に接して欲しいと思っているのに、罪悪感からなかなかそうできない私へ、私に分かるように周りの対応を見て普通にするようにと気付きをもたらしてくれたのかもしれないと感じました。

 

生きて産まれても、亡くなって産まれても、産まれてすぐに亡くなってしまっても、お腹に宿ってくれて産まれてきてくれたことは事実だし、いのちはいのち。

 

いのちに対する考え方と向き合い方が変わりました。

いのちに線引きをして勝手な枠や思考で考えてしまっていたのは自分だったのだと気づかされました。

 

どんないのちにも無駄ないのちなんてひとつもないと、運ばれた先の病院の先生もおっしゃられています。

そうやって大切にいのちに向き合ってくださる病院に最期運ばれて本当に良かったと思いました。

 

 

来てくれたいのちに対して感謝をして、出会えた意味、たとえわずかでも一緒に過ごす時間をどう向き合うのかどう過ごすのかが大切なのだと学ばせていただきました。

 

 

一番思うのは、お互いに思いを残さないという事が大切なのではないかなと感じます。

 

だから、胎話士さんが体のあるうちに来てくださったのも凄く意味があって有難かったなと今になっても思えます。

病院で過ごした日々

翼くんと過ごした1週間のお話。

 

お空に還ってしまった時、

翼くんのことなかったことにされちゃうのかな。とか、もう会えないのかな。とか、様々な思いがよぎっていました。

 

だけどお世話になった病院は、私の心配をよそに、翼くんが産まれてくれたことをしっかりと認めてくださり、

ひとつのいのちとして

大切に大切に接してくださいました。

 

とはいうものの、私は初めどう接したら良いか戸惑いもありました。翼くんに申し訳のない気持ちでいっぱいで。。。

でも病院の皆さんや家族が生きて産まれてくれた時と同じ様に接してくださっている姿を見て、私もそう過ごしたいと思いました。

 

だって、生きて産まれてきてくれて、一生懸命私の手術の処置の終わり腕に抱かれるまで、最期の時を待っていてくれたのだから。

本当に本当に頑張ってくれたんだなって思います。

だからこそ尚更、過ごせる限りある時間を後悔なく充実した時間を過ごしたいと思いました。

そして、申し訳ない気持ちを抱えながらも、それより感謝の気持ちを送り続けようと思い、そこから、「産まれてきてくれてありがとう」と伝え続けました。

 

私の体の体調が良くなってから、一緒にいられる時間は母子同室をお願いして、一緒に過ごさせていだだきました。

 

【嬉しかったこと】

☆ひとつのいのちとして、生きていると同じ様に大切に接してくださったこと。

☆名前が決まってから、名前で呼んでくださったこと。つばさくん。とか、つーくん。といって毎日声かけしてくださいました。

☆翼くんにおはよーとか、かわいいねー。とか毎回声をかけてもらえたこと。

☆沐浴をさせてもらえたこと。

☆手形&足型を撮らせてもらえたこと。

☆初乳をあげられたこと。

☆一緒に沢山写真を撮れたこと。産まれてすぐの写真も病院が撮ってくださっていてその写真を頂けたこと。

☆積極的に母子同室で過ごす時間を作ってくださり、抱っこさせてもらえたり、一緒のベットで寝かせてもらえたこと。

☆私の気持ちにも寄り添ってくださり、時には一緒に泣いてくださったり、励ましてくださったこと。

☆最期の見送りをその日病院にいるみなさんでしてくださったこと。

☆後悔のない様に徹底的に過ごさせていただけたこと。

 

まだまだ沢山ありますが、本当に本当にいのちとの向き合い方が素晴らしすぎて、結果は悲しすぎますが、最期に運ばれた病院がお世話になった病院で本当に良かったと思いました。

 

もしかしたら、その前に通っていたクリニックだったら、他の病院だったらこんな風に過ごせていなかったと思いました。

 

同じ事象に対して、病院や出会う先生でその後が大きく違うものなのだと。

そして、病院選びは大切なのだと痛切に思いました。

 

産科だけのクリニックもいいけれど、

何かあったときにさっと対応できる総合病院は安心だなと思いました。

初めてのことだし不安だし、そしてなにより大切ないのちを身ごもり診ていただく場所。

 

病院がきれいだからとか、食事がおいしいからとか表面的なものではなく、いのちと向き合う姿勢が整っている病院を、きちんと調べて安心して妊娠生活や出産ができる病院選ぶことをお勧めします。

 

 

そして今、私はその病院にお世話になり出産を迎えるにあたり管理入院をさせてもらっています。

前の状況を知っていてくださるので、念密に検査をしてくださり、メンタルにも配慮してくださりとても安心して過ごさせて頂いています。

まもなく出産ですが、

穏やかな気持ちで出産を迎えられる事に感謝しています。

 

無事に産まれてきてくれます。

産まれることは奇跡

赤ちゃんは妊娠したら産まれてくるものだと、浅はかな考えでおりました。

いえ。色々あることは知っていたけれど自分には関係のないことと重要視していませんでした。

放漫でした。

 

まさか産まれて2時間でのお別れがあるなんて思ってもみませんでした。

 

だけど妊娠中、心のどこかでずっとちゃんと産まれてくれるのか心配でもありました。

無事に産まれてくれる事ばかり願っていました。

だから余計に色々あることに怖くて向き合えきれなかったのかもしれません。

 

こうなってしまって思うことは、

当たり前のことなんて何一つない!!ということ。

産まれること、そして生きていることは奇跡なのだ!!

 

お父さんとお母さんの愛をたっぷり受けて妊娠する。まずそこが凄い奇跡の始まりで、何億もの精子の中からたった一つの精子卵子に出会うため、子宮の中で長い長い旅をしたのちに出逢い受精し、着床していく。

こんな凄い出会いがいのちの始まりだなんて神秘的。

 

お腹の中に宿りいのちが始まって、お母さんのお腹で十月十日かけていのちが育まれる。

 

産まれてからではなく、私はお腹に宿ってくれた時点でお誕生日は始まっているのだと思っています。

 

お腹の中でもうすでに一生懸命に赤ちゃんは生きてくれていて、その時間さえもかけがえのないいのちを育む時間なのだ。

 

無事に生まれてくることのほうが多いけれど、誰しもいつ何時どうなるかなんて分からない。

 

そういう気持ちで妊娠期に大切に大切にお腹の中に意識を向けていのちを育むとまた違った思いや観点から妊娠期を、そして生まれてからの時間や子育て期を過ごすことができるような気がします。

 

赤ちゃんが無事に生まれてくれること、そして今私たちが生きて存在していること自体がもう奇跡で素晴らしいことなのだと、

翼くんのことを通して学ばせていただきました。

 

いのちがあることは素晴らしい。

それだけで十分に凄いことなんだ!!

大切に大切に育ませていただきたいと思わずにはいられません。

 

そして、

その生かされている自分のいのちを無駄にしてはいけないと、

ずっと無理して我慢して自分を閉じ込めて生きている場合ではないと気付かせて頂いたのだなと、悲しみを乗り越えた後に気付かせて頂きました。

 

せっかく生かして頂いているいのち。

自分も周りの人も、その人らしく自分であれる自由に表現できる場に身を置き、あるがままの自分を受け入れて自分らしく生きる。

これこそが生きる上で大切なのではないかと思うようになりました。