最期の日
翼くんが産まれ、そしてお空に還ってしまって1週間が経ち、最期の日が来てしまいました。
お葬式と火葬をする日になってしまいました。
赤ちゃんは大人と違って、魂がお空に還った後の体の変化が少ない様で、少し長く過ごすことができるようです。(季節にもよります)
胎話士さんのセッションの後どんどん顔色や、表情が良くなり、身体の色も綺麗だし、柔らかいし、助産師さんもまだまだ一緒に過ごせるしもう少し一緒にいてもいいよと言ってくださいました。
本当はもっと一緒に過ごしたかったけれど、
家族みんなが集まれる日がなかなかなくて、
いつかはその時が来てしまうし、そうしたら、やっぱり長くいれば身体に変化はどんどん顕れ始めてしまうし。
ミイラ化したいの!?という言葉にハッとさせられ、
今の綺麗な状態のままで翼くんは体も空に還りたいのではとアドバイスを頂きその日を迎えることに決意しました。
梅雨の時期で連日雨続き。
その日も朝から雨が降っていました。
天気予報も雨でした。
だけど、当日、病院を出る直前に雨は上がりました。
そしてまた、次の日からは雨が続きその日しか晴れませんでした。
やっぱり、その日が正解だったのかもしれないと思えるような日となりました。
病院から葬儀会場に行くのもなんか忍びなくて、一緒にお出かけして家族での思い出をつくってから行きたいと考えていました。
病院でみなさんに見送っていただき、
翼くんをクーハンで外に出て、
近くの大きな公園で少しだけ一緒に散歩をしました。
家族全員で写真も撮り、
それから会場にむかいました。
会場に着いてから時間があったので、
最後の最後まで抱っこしたりキスをしたり話しかけたり、後悔の無いように最後のコミュニケーションをとりました。
泣いても泣いても涙が溢れてきて、もう心臓が引きちぎれるくらい悲しい思いをしながら、
可愛い愛息子を前に溺愛をする大切な時間を過ごしました。
前の日に旦那と二人で翼くん宛に手紙と折り紙を折っていたので、お花と共に一緒に入れました。
母乳も入れてあげたらと病院から提案いただきケースに入れて準備して頂いたので母乳も一緒に入れました。
入院中翼くんの前で流すと表情が変わったり、皮膚の色が明るくなる曲があったので、その曲も流させてもらいました。
お経をあげていただき、お葬式が終わって会場を出ると、突然パーっと雲の隙間から太陽の光が差し込み青空が広がり始め空が一気に明るくなりました。
それから火葬に向かう時車から外を眺めていたら、赤ちゃんの形をした雲が沢山空に浮かんでいました。
それは、翼くんが宿ってくれた時から臨月を迎えるまでのエコーで見せてもらっていた成長過程の全てを顕して下さっているかのような感じで、
【僕の事思い出してね。いつも一緒にいるよ。ありがとう。】
と翼くんが言ってくれているかのように感じました。
妊娠してからのことを改めて振り返り、また涙が止まらなくなりました。
だけど、翼くんはこうやって形を変えて自分を顕していてくれるのかもしれない気がしました。
全て終わって病院へ戻った時も空を見たら、
空に虹彩がキラキラしていました。
翼くんお空に還って行ったんだなと感じました。
私は小さな骨壷を抱え病院へ戻ってきました。
赤ちゃんは小さいからもしかした火葬をしたら骨が残らない事もあると聞きいていました。
だから髪の毛を少し切って残しておいたらどうかと提案も受けました。
温度と時間次第で骨が残る事もあると分かり、残るようにし調整して欲しいと事前に担当の方にお願いしました。
そうお願いしたら、ちゃんと残ってくれていました。
家族全員で翼くんのご遺骨を全て拾い集め骨壷に納めさせてもらいました。
後の方の待ちがなかったので時間をゆっくりかけてさせてもらうことができました。
ご遺骨を拾うのも辛かったけれど、やっぱり、一人で機械の中に入っていく光景を見るのが辛かった。辛すぎました。
だけど目を背けたらいけないと思って、翼くんの生き様を目に焼き付けました。
最期の最後のまで、
ありがとうを伝え、キスをして、蓋を閉めました。翼くん。最後まで可愛かったな。
いつまでも私たちの心の中に生き続けてくれると信じています。
そしていつも見守ってくれているのだと思っています。
私はこれから翼くんに恥じないママにならないとと思って今も過ごしています。
翼くんいつまでもずっとずっと大好きだよ。
パパとママの子供として産まれてきてくれてありがとう。
愛しています。